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誰も信じられない

 私は中学を卒業するときにクラスメイトから寄せ書きをもらいました.そこには「ニヒルなKoishi...」という書き出しがいくつかありました.私はそのニヒルということばを知らなかったので,早速辞書で調べてみました.

ニヒル
・・・虚無,虚無的
虚無主義・・・実在・価値・権威など,すでにあるいっさいを否定し,個人を解放しようとする考え・立場(角川国語辞典より)

 これも当時は難しいことばだったのですが,なんとなくニュアンスはわかりました.本当の意味をみんなが知っていたのかどうかはわかりませんが,クラスメイトが私のことをそのように見ていたことに驚きました.今から考えると,みんな私のことをよく観察していたんだなと思います.私自身,自分がニヒルだなんてまったく見当もつきませんでしたから.
 確かに,変にさめていた部分はありました.

 当時の私は,前の「46.くだらない」のところに書いてますように,他人が価値を見いだしていることに対して,私はそれを否定していたという記憶がかすかにあります.それでかは知りませんが,親友と呼ぶことのできる友人は一人しかいませんでした.その友人とは「40.ちょっとした一言」に出てくるKです.

 ではなぜ,私は虚無感を抱いたのでしょうか?
これには,幼い頃に誰も信じられなかったということが,かなり決定的に影響しているようです.本来なら,こころのよりどころといいましょうか,自分の身を任せることのできる親という存在から十分な愛情を受けていればこんな人間にならなくてもよかったのかも知れません.

 私はこどもの頃,親に守られていたという記憶は全くと言っていいほどありません.こどもは自分を理解してくれる人がいなければ自分で自分を守ろうとする行動をとります.そのこどもはどうしても自己防衛的になり,結果的に自分自身に執着するようになります.そんなときに人を信じることは難しいです.そして,自分は強くならないと!しっかりしないと!と思うようになります.その願望が強くなればなるほど劣等感はますます増幅されていき,周りと自分との垣根を作って孤立します.孤立すると自分以外を否定するような行動をとることになります.

 周りから孤立するということは,こどもにとってとんでもない恐怖です.そんな状態では自分の存在価値なんてわかるはずなんてありませんね.

 そういうことで,私は自分の家族に対して愛情を求めることはなかったのです.おまけに私が幼い頃から母親が病弱で入退院を繰り返していたものですから,普通の人以上に母性愛に飢えていました.
 ませガキだった私の矛先は異性に向いたのは言うまでもありません.異性に対して異常なまでに深い愛情を求めていました.それが20代半ばまで続いたのです.

 私は20代入ってから数人の女性とお付き合いしました.
こんな性格の私は彼女と幾度となく衝突しました.ある人は私にこう言いました.「KoishiはKoishiなんだから自分らしくしていてね,自分らしいのが一番楽だし,そこにKoishiの魅力があるのよ」

 20代後半にさしかかったとき,私は異性に対して幼い頃満たされなかった愛情を彼女に求めても上手くいくはずなんてないことに気が付きました.

 これを読んでいる人の中に,私のように幼い頃親から充分な愛情をもらっていない人がいると思います.しかしですね,今はその自覚症状があるのですから対処方法はある訳です.


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