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モテることと熱中することとの関係

 「06.いま熱中していることある?」のところでは熱中することを見つけましょうと書きました.しかしながら,モテることと熱中することとの関係についてはあまり触れていませんでした.
 ここでは,その関係に焦点を当てて話を進めていこうと思います.

 モテることと熱中することとの関係ですが,結論からいいますと,直接的には関係はありません.副産物として捉えた方がわかりやすいと思います.熱中することを持っていない人もちゃんと恋愛はできます.

 では,何であえてそれらを関係づけるのか,という疑問が湧いてきます.
私は,好きな人に好きになって欲しいなら,まずは自分自身のことを知っていなければならないという考えを持っています.そして,熱中することは,自分自身を知る上で手助けになると思うんです.

 私は10代半ばから20代前半まで自分自身をモテないくんだと思っていました.そして,自分が一体どんな人間なのか知りませんでしたし,知ろうとはしませんでした.自分がどんな人間なのかを知るのが辛かったのです.

 それはまさに自分のことを主観的にしか見ることができなかったことになります.自分のことでさえも自分だけの見方にとらわれているのです.つまり,本当の自分はどんなやつなのか知らないことになります.

 ですから,そんな自分をモテないくんだと思い込んだとしても,実際には自分の思っているようなモテないくんではない可能があるのです.
 自分のことを客観的に見る勇気がないばっかりに,モテないくん地獄にはまり込んでしまったのです.そこから逃げるためには,自分をつまらない人間だと卑下するか,あるいは他人を自分よりも劣っていると思う(例えば,自分を振った相手のことをお前なんかこっちからお断りだと思う)しかありません.
 
 我々の求めている恋愛は,他人対自分の中で作り上げていきます.

 自分の好きな人に自分のことを好きになってもらいたい,と思うなら自分を客観的に見て分析する作業をしなければなりません.しかし,ここで注意しなければならないことがあります.それは,他人の目に自分がどのように写っているのかということばかり気にするということです.
 何をするにも他人の目を気にするので,自分を誇張して振る舞ってしまい本当の自分との間の溝がどんどん大きく深くなっていきます.私の場合,そういった行動がいわゆる「八方美人」「いい人ぶる」「知ったかぶる」という行動になっていったのです.実際には中身がないのに外側ばかり大きくすることにほとんどのパワーを使ってしまうのです.少し話が逸れましたので,これについては機会をあらためて書こうと思います.

 自分を客観的に見ようと思えば,自分を他人の目で見なければなりません.実際には,他人が見るのか,自分自身を他人の目でみるのか,という問題がありますが,いずれにしろ何かを生産しなければならないということです.身近なところでは,勉強であったり,仕事であったり,あるいは趣味であったりするわけです.

 例えば,私ごとでしたら,まるまる2日間一睡もせず仕事上のプレゼンに使う資料を作ったことがあります.締め切り間際にならないとやる気が起こらないという怠けた性格なのですが,締め切りには寝ずにでも間に合わすことができたことから,自分には責任感,持続力,集中力があるとわかり少し自信がつきました.そして,その時作った資料もうまくできて,プレゼンも上手くいき,他人からの評価もよかった場合はさらなる自信につながります.
 そういったことを繰り返すうちに,自分では気づかなかった新しい自分を発見することができます.そして,それは楽しいことでもあります.ですから,勉強にしろ,仕事にしろ,本来はしんどいことですが熱中できるのです.

 何かを生産して,他人にそれを示すと何らかの評価になって返ってきます.それは非常に怖いことですし,緊張もともないます.自分が一生懸命になってやったことでも,他人からするとくだらないことだと思われることもあります.それに腹を立てて途中で投げ出すという選択肢もあります.しかし,自分は適切なアプローチをしていたのだろうか,適切な示し方をしていたのだろうかと反省する必要がありと思うんです.反省することは自分にとっては痛いことがどんどん出てきて辛いですが,ひとりよがりにならないためにもそれは重要です.

 自分の好きなことであれば,多少,肉体的,精神的にしんどいことをしても苦ではないと思います.それを少しずつ極めていくにしたがって新しい自分を発見していくわけです.
 自分のことをモテないくんだと思い込んでいるかも,という人は,まずは自分がどんな人間なのかを客観的に見る作業から始められてはいかがでしょうか.
 
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